2006-02-02

翻訳学校の存在意義

翻訳家山岡洋一さんが発行する『翻訳通信』の45号のお知らせが配信されてきました。12月1日にも触れましたが、いつも楽しみにしています。

しかし、今回の記事にはちょっと反論せねばなりません。なぜかというと、「翻訳学校で翻訳を学んでもしょうがない」という話があったからです。私たちが運営しているDHC-オンライン講座は一応「翻訳学校」のひとつですから。

山岡さん曰く、「翻訳学校に行かなくても翻訳は学べる」。これは正しいと私も思います。しかし「翻訳学校に行かずに翻訳を学ぶには、かなりの才能と忍耐力と時間がなければならない」のもこれまた事実だと思うわけです。

かく言う私も、翻訳を学びに翻訳学校に通った経験はありません。学部の学生時代、一度、通信講座を受けましたが、2回ぐらい課題を出したところで挫折しました。あと、日本語の文章の書き方を他の人にも聞いてみたくて、通信講座と通学講座をそれぞれ一度ずつ受講したことがあります。

翻訳学校に通った経験がなくて翻訳やっているのに、翻訳学校をやっているわけですが、それは、翻訳学校で学ぶのが効率がよいと思っているからです。私自身が翻訳学校に通ったことはないのですが、ウチのカミさんは都合二つの翻訳学校に通って、のべ3年ぐらい勉強したように記憶しています。私は、学校には通わずに、カミさんのテキストを盗み見して参考にしたのです(一粒で二度おいしい!)。これはためになりました。私が日頃翻訳で感じていたことが明確な表現で技術として説明されていたのです。

たとえば、「訳し下げ」という概念があるのをこれで知りました。「関係代名詞で後ろから修飾されている場合、学校で習ったように後ろから訳して名詞を修飾するとえらく読みにくい文になる。こういう場合、一旦切って、名詞を訳してしまってから、後の修飾部分の訳した方がよい場合が多い。この手法を『訳し下げ』と言う」といった具合です。それまで、意味を考えてわかりやすく表現するために、こういった手法を名前も知らずに使っていたのですが、カミさんのテキストでお目にかかって以来、その技法が名前で参照できるようになったのです。

添削課題も半分は共同制作です。カミさんがやった課題に私がイチャモンを付ける。それが朱でバッテンされていたりすると「これで、仕事がもらえなくなったらどうするの」と、夫婦げんかのネタになりましたが、「なるほど」と納得するコメントも多かったのです。

確かに、翻訳はひとりで学べます。しかし、翻訳学校も(特にDHC-オンライン講座は(^_^))何が翻訳に大事かを学ぶのに、そして自分の翻訳を客観的に見つめるのにとても役に立つのです。

「山岡さん、ひとりで勉強していたんじゃ、こういう経験はできませんよね?」

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